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「えりも岬に生まれてよかった」世話焼きおばさんがいる豊かな地域コミュニティ(1/4)
都市部を中心に核家族が増え、家庭単位での孤立化が進んでいるといいます。
たしかに都会で子育てをしていると、人との関わり方が希薄で、ふと孤独を感じることがあります。家族のあり方や、地域のコミュニティのあり方を問われる時期にさしかかっているのではないでしょうか──。
そうしたときに私たちが出会ったのは、北海道の日高地区漁協女性部連絡協議会とえりも漁協女性部連絡協議会の会長を務める、川崎尚子さん。同漁協えりも岬地区女性部長なども兼任し、海に携わる女性たちを率いる人物です。
自身も漁師の家に生まれ、漁師に嫁いだという川崎さんは、これまで売り物にならなかった魚を調理して商品化。次の世代へ継ぐために、アイデアによって産廃を資源化しようとしています。
さらに、地域の女性を巻き込んだ、豊かなコミュニティ作りにも注力します。漁師の妻だけでなく、駐在さんや学校の教頭先生の妻まで引き込み、昆布を天日干しする作業などを手伝ってもらっていると聞いたときには驚きました。
そして同時に、「ここは、東京よりも、子育てしやすいんじゃないかなあ」とも思いました。昆布を干しながら世間話をして、生活の知恵を共有したり、子どもの悩みを話したり。そんな女性たちの姿が目に浮かびます。
愛着を込めて、川崎さんのような女性を“世話焼きおばさん”と、あえて呼ばせてもらおうと思います。世話焼きおばさんの巻き込みパワーは、孤独な人々を救うのではないか。そんな仮説をたてつつ、スタートします。
昆布漁師の家に生まれ、同じ地域の漁師に嫁いだ

── 川崎さんはどうして漁師の嫁になったんですか?
やっぱり第一はここの襟裳岬が好きで、浜と海が好きだったこと。うちの実家も昆布漁師だから、漁師の嫁になるのに何の違和感もなかったね。
私が子どもの頃は今みたいに便利じゃなくて、全部が手作業だったから、断崖絶壁の獣道を父親が昆布を担いで歩いたわけ。そういう親の働いてる姿を見て育ったから、ちょっと辛いことがあっても「このくらいでは負けられない」と思える。
昔の人たちは、満潮や干潮の周期を利用して、昆布をロープで引っ張ってたの。私たちも学校から帰ってくれば親に手伝わせられた。潮が引くときにやるから、月や星がいっぱい出てる夜中だったときもあったよ。

── 他の地域へ出たいとか、漁師はもうイヤとは思わなかったんですか。
子どもの頃は「なんで手伝わなきゃいけないんだべ」って思ったこともあるけどね。ここで生まれ育って嫁ぎ先も地元だから、周りの人たちの子ども時代も、その親たちも見てきてる。先祖のおかげでやってこれてるっていう思いが踏ん張りどころになってるかな。とにかくみんなで仲良くしようって。
実家が近いから徒歩でも逃げられるんだけど(笑)。うちの親は厳しかったから、嫁いでから一度も泊まったことはないの。私も昔はおとなしかったけど、嫁になってだんだんと力をつけてね(笑)。

── それで周りを引っ張るくらいに。
そうそうそう(笑)。だから、やっぱり男の子ばっかり地元に残すんじゃなくて、女の子にも残ってもらわないとダメだってこと。